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タイタニック号

豪華客船「タイタニック号」は沈められたのか!?衝撃の検証。
担当:長官

序章
タイタニック号は数回映画化され、特に1997年に ジェームズ・キャメロン監督、 レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレットで 送り出した『タイタニック』はアカデミー賞を 11部門獲得し、大きな反響を呼んだ。 そして、今回は「タイタニック号は沈められた!?」 という問題に迫ってみたい。 では早速タイタニック号の軌跡を追ってみることにしよう。
1.タイタニック号の軌跡

1912年 4月10日

出港日当日。ホワイトスター社が建造した 「世界一の豪華客船『タイタニック号』」は人々の歓声に つつまれながらニューヨークに向けて処女航海に出発した。

出発後、「絶対沈まない船」としてタイタニック号は その巨大な船体で風を切りながら雄大に航海を続けていた。 客船内では人々がそれぞれ自由に楽しんでいる。

1912年 4月14日 23時40分

冬の北大西洋の寒風がタイタニック号に吹き寄せる中、 見張り台には乗務員のフレデリック・フリートとレジナルド・リーが 双眼鏡が積まれていなかったため、月明かりを頼りに タイタニック号の遥か前方を眺めていた。 風は穏やかで、巨大な船がかきわける水しぶき以外には波は立っていない。 一見、何も起こらないと思われる時に 見張り役の一人、フレデリック・フリートは 前方に浮かび上がる巨大な物体に気付いた。 未だ"それ"が何なのかは気付かず、"それ"に気付いた瞬間、 彼の手は迷わず警報の鐘に伸びていた。

「カーン、カーン、カーン」

警告を告げる鐘が三度鳴らされた。 続いて彼はブリッジに連絡を入れ、 前方の巨大な氷山の存在を知らせ、マードック航海士はヒッチェンズ操舵手に向かって叫んだ。

「面舵一杯!!」

この時、エドワード・J・スミス船長はちょうど 自室で休憩中であった。 ヒッチェンズ操舵手は、氷山を回避する為、依然として面舵を取り続けている。 しばらくして船は徐々に方位を変えていき、北から71度西寄りの角度から、 40度南へ向きを変えた。 マードック航海士は機関室の伝令器の中へ、 「機関停止!」「全速後進!」と叫んだ。 また、防水ドアを閉める為に、船内に居る者へ10秒間、 警告のベルを鳴らした後、自動でドアを閉めるボタンを押した。 こうしている間にも、無常にも船には氷山の巨大な姿が迫ってくる。

回避するには時間が足りなかった…

巨大な氷山は船体をかすめ、 タイタニック号は氷山に衝突した。 船は方位を変更していたために船と氷山の接触は10秒程であった。

この事態に対し、乗客は何かの故障であるということ位しか 認識をしていなかった。 それは船が方位を変え、氷山に完全には衝突せず、接触したという 点と、「絶対に沈まない船」と信じていたためである。 それほど心への衝撃は軽いものだった。

その後、衝撃により、目が覚めた船長と、乗り込んでいた ホワイト・スター社の社長、J・ブルース・イズメイには この事態を航海士から知らされた。

4月15日 0時00分

衝突から20分が経過し、 被害の確認に当たっていた者達が戻ってきた。 その中に一人、タイタニック号の製造元ハーランド&ウルフ社所属で、 船の構造に最も詳しいトーマス・アンドルーズは、これ以上ない 絶望的な面持ちで報告した。

「氷山との衝突で船首部分から中央にかけて、空いた穴によって、 同時に6区画から浸水が始まっています。タイタニックは 5区画までの浸水に耐えられますが、6区画は無理です。 -----タイタニックは沈みます…」

ブリッジの全ての者がその言葉に呆然となった。

「この不沈の船が沈む…」

誰かがぽつりとつぶやいた。 しばらくは身動きさえできなかったスミス船長だが、 しばらくの沈黙の後、ようやくその重い口を開いた。

「沈むまでにはどのくらいの時間がある?」

「おそらく、あと2時間…」

船には致命的な欠点があった。 タイタニック号に備え付けられた救命ボートの数は20隻、 収容定員は1178名だが、タイタニック号の乗員は2200名以上にのぼる。

スミス船長は、ただちに救助信号を送信させ、乗客を救命ボートへ移させるよ うに指示した。 当時の海難事故の際には、CQD(COME QUICK DANGER)と SOS(SAVE OURSOUL)が使われていたが、 タイタニック号の遭難では、その両方が使用された。 無線を傍受したカーパシア号が、タイタニック号乗員の救助に向かった。 カーパシア号の船長は、全てのエネルギーを速度を上げるために使用した。 それでも、カーパシア号が現場に駆けつけるには4時間かかる。 事態は刻々と悪化の一途をたどっていった。

4月15日 00時40分

この時には既に浸水は毎秒7トンにも及び、 既に2万5000トンもの海水が船内に流入し、 6区画の喫水線まで海水が達した。

4月15日 01時40分

船首が沈み始め、発電を続けていた乗組員までもが逃げ出した。

4月15日 02時20分

それまで明々と灯されていた船の光が全て消え、船尾の重みに耐え られなくなった船体が、その中央から凄まじい大音響とともに二つに折れ、船 尾部分が海中に放り出された人々の上に落下した。 船首はそのまま船尾を垂直に海中へ引き込み、 船体は海中で大きく3つに分裂し、渦となった海水とともに 漆黒の海底深くに姿を消した…

タイタニック号が海中に姿を消すと、海はまた元の静けさを取り戻した。 その静けさの中で、生き残った者達は、暗く冷たいボートの上でひたすら救援 が来るのを待ち続けた。カーパシア号が到着したのは、4月15日の夜明けであった。 705名の生存者を収容したカルパチア号はそのままニューヨークへと向かった。 皮肉にも、船を代えることにはなったものの、当初の予定通り、目的地に着く ことになったのである。 タイタニック号に乗船していた誰もが、 このような形で自由の女神を見上げることになるとは思ってもみなかった。

こうしてタイタニック号の悲劇は 生存者706人、死亡者1517人を出し、幕を閉じた…


タイタニックには様々な謎がつきまとっていた…
引き続き「タイタニック号は沈められた(検証編)」をご覧下さい。