アメリカ

大ヘビの塚

アメリカ、オハイオ州にあるインディアンの墓といわれている塚で、 長さ400メートルの大ヘビの形をしている。 紀元前1世紀頃のものと推定されている。
メサバーデ

メキシコ高原で栄えたアステカ族の先住民の大都市遺跡。 太陽のピラミッドや月のピラミッドなど、壮大な建築群が残されている。
テオティワカン


メキシコ市の北東約40キロの所にある大宗教都市の遺跡。 オルメカ文化の強い影響下で、紀元前一千年紀後半に メキシコ盆地につくられた祭祀センターの一つであり、 盆地南部の遺跡クイクイルコとほぼ対等な影響力をもっていたが、 前100年ごろシトリ火山の噴火によってクイクイルコが消滅したあと、 テオティワカンへの人口集中が始まった。 そして、ツァクアリ期と名づけられた時期の終わりまでに、 20平方キロ以上の面積に広がり、 メキシコ盆地の人口の80%以上を吸収して、 7万ないし10万の住民がいたといわれる。
テノチティトラン

現メキシコ市の位置にあったアステカ王国の首都。 1345年ごろ建設されたといわれ、テスココ湖上の島の上に位置していた。 初めアステカ人の二つの集団が、島の北と南に町をつくり、 それぞれテノチュ(首長)をいただいていたが、15世紀末に、 南のテノチティトランが、北のトラテロルコのトラトアニ (古代メキシコ語で王の意)を廃して行政官を送り、事実上北の 地区を併合した。15世紀初めからのアステカの勢力拡大に伴って、 町の規模は大きくなり、やがて12ないし15平方キロの地域に、 15万ないし20万の人口が密集して住む大都会になった。 居住者はすべて非農耕民で、食糧は本土から舟で補給され、 飲料水は西の対岸にあるチャプルテペックから水道によって引かれていた。
ラベンタ

メキシコ、タバスコ州にあるオルメカ文明の遺跡で紀元前10世紀頃 のもの。高さ2メートルの巨石人頭像やジャガーの像がある。
パレンケ


メキシコ南部チャパス州西部にある古典期のマヤ遺跡。 1952年、碑文の神殿から、王の地下墳墓が発見された。 碑文の解読がアメリカの学者たちにより精力的に行われて、 パレンケの王朝の歴史の一部が解明された。埋葬された王は、 紀元683年に80歳で死んだパカルであり、 その子チャン・バアルムの時代に彼を葬るため神殿が建てられた。 また同じ時代に、太陽の神殿、十字の神殿、葉状十字の神殿など、 パレンケを代表する優美な建物も建てられた。 王や貴族の住居だったと考えられる宮殿は、 パカルの時代に建設が始まって、 その後の王たちの手で次々に建て増しされた。 マヤ建築で唯一の四階の塔が付属している。 パレンケの勢力は、764年に即位したクック王の時代に衰退に向かった。
ティカル

グアテマラのペテン低地北部にあるマヤの大遺跡。 中心部は16平方キロを占め、 周囲の沼地から約50メートルの高さに断続して立つ台地の上に、 ピラミッド状神殿、「アクロポリス」とよばれる基壇の上の建物群、 石碑などが建ち並ぶ。 紀元前600年ごろから居住の形跡があるが、大祭祀センターとして 確立するのは紀元後250年以後である。 もっとも古い石碑の年代は紀元後292年であり、 マヤ文字の解読により、376年から768年に至る王朝の統治者 の歴史が解明されている。アンデス文明古典期前期(300〜600) にはテオティワカンの影響を受けたが、後期には独自の発展を遂げ、 9世紀初めまで、低地マヤ最大の政治勢力であった。 830年ごろから人口が減少し始め、やがて放棄された。
ウシュマル


メキシコ、ユカタン半島北部、メリダ市の南方約70キロにある、 古典期後期のマヤ遺跡。建築、彫刻の美しさで有名。 「尼僧院」とよばれる内庭を囲む四つの建物や、「総督の館」 とよばれる細長い建物の前面上部を飾るモザイク文様は、 プウク様式というその時代の建築の特徴をなす。また少なくとも 五つの異なった時期の建造物が重ねられた「占い師のピラミッド」 (高さ約27メートル)の上部には、神殿中央に神像が取り付けられ、 大きく開いたその口が建物の入口となって、 いわゆるチェネス様式によっている。
チチェンイッツァ

メキシコ南部、9〜13世紀のトルテカ・マヤ文明の神殿都市。 神殿のカスティーヨ、天文観測所のカラコル、いけにえの泉がある。
マチュピチュ


ペルーのクスコ北部、インカ帝国末裔の山上都市。 山頂の大地に精緻な石造建築がある。 太陽神殿や天文観測所があったらしい。
クスコ

南アメリカ中西部、ペルー中南部の都市。 クスコ州の州都。ウルバンバ川の上流、 アンデス山脈の標高3399メートルの高原盆地に位置する。 人口25万5568(1993)。かつてのインカ帝国の首都で、 インカ帝国時代の遺跡が各所にみられ、ペルー最大の観光都市である。 また、南部ペルー山岳地帯の商業中心地で、盆地内で栽培される農・ 畜産物の集散地となっている。毎年6月24日のインカの祭典 「インティライミ(太陽の祭り)」には、世界各地から多くの観光客が訪れる。 交通は主としてリマからの空路が利用される。
ナスカ

南アメリカ、ペルー南西部の都市。イカの南東135キロメートルに位置する。 人口2万2400(2001推計)。 リオ・グランデ川支流のナスカ川流域にある山間オアシスの中心地で、 家畜、綿花の集散地である。 近郊に紀元800年ごろ繁栄した先インカ時代の遺跡がある。 また、市の北約22キロメートルには、紀元前1000年ごろつくられたと 推定される、台地上の砂漠に描かれた巨大な幾何学的図形や、 イヌ、サル、鳥(羽の両端の幅が100メートルを超える) などの「ナスカの地上絵」があり、近年訪問者が増加している。
イースター島


モアイで有名な 南太平洋の東部にある島。 パスクア島Isla de Pascuaまたラパヌイ島Isla de Rapa Nuiともよばれる。 面積180平方キロ。南回帰線のわずか南の南緯27度08分、 西経109度26分、チリの海岸から約3800キロ西方に位置する。 先住民が残した多くのモアイとよばれる巨大な石像をはじめとする 遺跡の島として有名である。1722年4月5日の復活祭 (英語ではEaster、スペイン語ではPascua)の日に、 オランダの軍人ロッヘフェーンにより発見されたのにちなんで、 イースター島あるいはパスクア島の名でよばれる。 1888年チリ領となり、現在は同国のバルパライソ州に属している。 「イースター島のモアイ
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